人はいろんな考えがあるから、全ての意見は一理あると受け止めてみる。
私は偏りすぎる意見というものがどうも苦手だ。
これは、おそらく日本人の特性なのかもしれないが、あまり異端だと引いてしまう。
しかし、それはそれと受け入れるのも良いのではないだろうか。
と思う様になった。
と思う様になった。
例として、怒りを込めた意見を共有する。
これは、その怒りに共感しているからである。
これは、その怒りに共感しているからである。
ただ、意見に対して共感している時点で、その人は第三者なので100%の共感はできないと私は考える。
それでも、共感するという事は、心震わせられている事もまた事実。
それはそれで、ある意味その人の気持ちとリンクする部分があるのだ。
それはそれで、ある意味その人の気持ちとリンクする部分があるのだ。
多種多様な意見、大いに結構。
ただし、どんな意見も自分が当事者出ない限り、第三者であるという自覚を持つべきではないだろうか。
それに対して、私のスタンスは人はいろんな考えがあるから、全ての意見は一理あると受け止めてみる。
そんな感じで生きていこうと思う。
ほいたら、また。
ほいたら、また。
