続・お盆時期に考える死ぬとどうなるのだろう。
どうも言葉不足もあったようで。
私の悪い癖である。
フェイスブックでコメント頂き、少し私の発信が中途半端だと反省し、このテーマについてもう少し書かせてもらおうと思う。
先ほど、死ぬとは無になる事だと書いた。
だが、無とはリセットされるという風に私は認識している。
骨が土に還るように、無というのはあるべき場所へ還る事だ。
あるべき場所はどこなのかと聞かれれば、私は死んだ事はないし、死んだ人と話したこともないので、漠然としか言えないが、イメージとしてはきっと一つの塊のような空間のような物だと思う。
その塊のような物には一人ではなく、全ての人間の無が集まり、リセットされる場所。
骨が土に還り、砂となり、岩となり、砂利となり、また砂となる。
そういう具合に無は有に代わるのかもしれない。
ただ、それは人間だから人間になるというわけでもなく、風であったり、火であったり、水であったりといった何物にも変化している。
そこには命という概念も時間という概念もない。
全てがそこから来てそこへ帰り、また、なんらかの意味を持ち現れる。
人類皆兄弟。
そんな言葉の心理も私が考える塊から来て帰りという繰り返しと思えば合点がいく。
死は残された人間に喪失感と悲壮感を与える。
それは人間だったら当たり前の事である。
しかし、本来は無から姿を借りているものが、現世へ姿を返し、もとの塊へ戻って行く。
それが無になるという事だ。
そうやって塊に戻る前に、いったい自分になにができるのか。
また、やりきったぞと両手を上げて魂へ戻って行くのか。
それが生きるって事の最大のテーマなんじゃないかな。
ほいたら、また。
私の悪い癖である。
フェイスブックでコメント頂き、少し私の発信が中途半端だと反省し、このテーマについてもう少し書かせてもらおうと思う。
先ほど、死ぬとは無になる事だと書いた。
だが、無とはリセットされるという風に私は認識している。
骨が土に還るように、無というのはあるべき場所へ還る事だ。
あるべき場所はどこなのかと聞かれれば、私は死んだ事はないし、死んだ人と話したこともないので、漠然としか言えないが、イメージとしてはきっと一つの塊のような空間のような物だと思う。
その塊のような物には一人ではなく、全ての人間の無が集まり、リセットされる場所。
骨が土に還り、砂となり、岩となり、砂利となり、また砂となる。
そういう具合に無は有に代わるのかもしれない。
ただ、それは人間だから人間になるというわけでもなく、風であったり、火であったり、水であったりといった何物にも変化している。
そこには命という概念も時間という概念もない。
全てがそこから来てそこへ帰り、また、なんらかの意味を持ち現れる。
人類皆兄弟。
そんな言葉の心理も私が考える塊から来て帰りという繰り返しと思えば合点がいく。
死は残された人間に喪失感と悲壮感を与える。
それは人間だったら当たり前の事である。
しかし、本来は無から姿を借りているものが、現世へ姿を返し、もとの塊へ戻って行く。
それが無になるという事だ。
そうやって塊に戻る前に、いったい自分になにができるのか。
また、やりきったぞと両手を上げて魂へ戻って行くのか。
それが生きるって事の最大のテーマなんじゃないかな。
ほいたら、また。
