幸せになるには幸せを探さない。

年明け四日目となると溢れていた人たちがどこえ消えたか幻術にでもはめられたかのような観光地。
いつもどおり。
といえばそうだが、なんとめた寂しいものである。


さてさて、2016年は結構ブログ書いたなと自負している。
そりゃプロブロガーなんかには到底敵いはしないのだけれど、そこそこ書いた。

さらに今年はもう少し記事数を増やしていきたい。
そう思っている。


ただ、そう思う反面、どうも退化か進化かわからないが、全てのことは受け入れるしかないなという気持ちになっている今、なかなか意欲が湧いてこない。

たぶん、今まで受け入れられないことへの不満の捌け口がブログであり、ガス抜きみたいなものだったのかもしれない。
それがない今、なかなかブログが書けなくなっている。

昔、一五一会というBEGINが開発した楽器が簡単で曲なんかを作ったことがあった。
その時は失恋続きでギャンブルも勉学も学生生活も就職活動もなにか噛み合わずにいたフラストレーションが生んだのが曲だった。
なので、今は全く詩が書けないしメロディーも浮かばない。


充実しているのだ。
金は少ないが暮らしていけている。
妻も子供もいて、親も元気。
欲さえなければこんなに幸せなことは無い。


以前、脳は変化を嫌うという話を聞いたことがある。
今の現状が幸せだと判断すると居心地のよい今を変えたくなくなるらしい。


幸せとはなんだろうか。
金があることか?自分がが輝いている時か?友に囲まれている時か?地位か?名誉か?

いや、おそらくどれも本当は幸せなんだ。
今だって幸せ。
それに金やら友やら地位やら名誉やらがついたって不幸せなんかじゃない。


幸せ。とは今この瞬間を生きていることそのものである。
それに気づかずに不安になるから不幸せになるのだ。

変化したって元が幸せなんだから、不幸せなんかないぞということをしっかり覚えておけば、不幸せなんぞどこかへ隠れてしまうだろう。


幸せとは高望みすることではない。
結局は元に戻るが、幸せとは今を認めることにある。

今を認めるということは過去を認めることである。
そして、未来をも認めることにある。

何があってもその時、その瞬間が常に幸せななのだ。
それが例え犬のウ〇チを踏んだ時でも、最悪なスコアで回ったゴルフでも、家に帰ったら大好きなカレーライスがあったりした日も、全部全部、実は幸せなのだ。

幸せの青い鳥。ではないが、幸せとは幸せを探さずに現状を幸せであると認識することだ。

ブログって面白い。
意味もなくダラダラ書きながら自分で勝手に答えをみつけるのだから。

うん、あいかわらず幸せな男や。私は。
ほいたら、また。


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