超個人的なジオパーク論 ※純度100%個人の考えですので、専門的な方、考えが違う方には先に謝ります。ごめんなさい。でも、許してね(笑)

ジオパークは結果である。
と私は思う。

地元に愛着、誇りを持ち、それをどう具体化(科学的アプローチであったりストーリーであったり)して行くか。
また、それを伝えていける人を育てるか。
ジオパークの概念ってこれだと思う。

ただ、本来であれば、それはジオパークで敢えて育てるものではない。
何でも知ってる物知り長老的な人や、海山川どこからともなく食材を集めてくる人など、ちょっと変わってるけど凄い人というのが、その特殊性をもって尊敬されて、伝承されて、語り継がれていけば本来はジオの概念というのは自然とできあがるものである。

しかし、今はどうか。
残念ながらそんな人自体が少なくなって来たし、こんな日本の端っこだって人と人との交流は少なくなってきている(自責の念も含め)。


だから、今、ジオパークなのだ。

本来はある、脈々と語り引き継がれる地域の伝統や誇りが伝わりにくくなっている今、それを仕組みかして取り組むというのがジオパークだと私は思う。


ジオって特別なもんじゃない。
いつも何気ない生活の中にある事に対してちょっと興味を持って知ることによって、地域の特性と文化と大地との関係が見えてくる。
その手伝いができるのがジオだと思う。


そこに観光で!ビジネスで!行政で!とか枠組みをしだすと一気に視野が狭くなるから、もっとももっと視野を広く広く。
生活自体がジオなんだ。
とい事を感じてもらえたらもっと理解が進むんじゃないかと思う。

この取り組みにおいて、行政も住民もない。
土佐清水市で産まれ育ち死んでいた、過去、現在、未来、全てをまきこんだ思想である。

誰かが中心になってとか中心を求める。
そんな事を言い出したら、辞めた方がいいのではないかと正直思う。
好きなもんが勝手にやってるくらいが本来の姿なのかもしれない。


いつのまにか私たちが無くした忘れ物(ジオの概念)を探す取り組み。
ジオパークってそんな取り組みなのかもしれない。

ほいたら、また。

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