かぶれる
私は非常に『影響』を受けやすい人間である。
この『かぶれ体質』を自分でも理解している。
この『かぶれ体質』を自分でも理解している。
ただ、この体質を悪いとも言い切れない節もあり、うまく付き合って生きている。
生まれつき人間というのは真っ白なキャンパスである。
そこへ体験や書物や音楽から受ける情報を塗り重ねて自分というオリジナリティを生み出していく。
悪く言えばカメレオンだが、良く言え柔軟。
食わず嫌いはできるだけ避けてきたが、私も歳を重ねてオリジナリティの輪郭が見え始めた今の私は、こだわりも強くなってきている。
入る情報も偏りがち。
比例して出す情報も偏る。
あまりよい状況ではないなと危惧している。
ただ、未だにグッと引き込まれる様な情報に巡り合う時がある。
それはやはり本であり音楽であり人であり。
そう考えるとオリジナリティとは生きている内には完成なきものであり、死して初めて人格が完成するのである。
けれども、いつ死ぬかなんて誰にも分からない。
それは今年、様々な死を見届け感じた事だ。
いつ死ぬか分からない。
これに怯えて暮らすのではなく、死を迎えるその瞬間に自分の生きた道程を堂々終えられるか。それが大事なのだ。
オリジナリティの完成。
その時まで『かぶれ』ながら生きてやる。
ほいたら、また。
